◆大柳生・阪原

おふじの井戸

「お藤」がこの井戸を利用していつもと同じように洗濯をしていたところ、偶然柳生宗矩がこの井戸の近くを通りかかり、美しい顔立ちのお藤を見つけて名を尋ねるのみならず、何を思ったのかお藤に対し、「洗濯桶の中にある波の数はいくつか?」といった少し意地悪な質問をしたところ、お藤は決してひるむことなく「波の数は二十一でございます。」と答えたばかりか、「お殿様がここまでやって乗って来られた馬は何歩歩いたのですか?」と言うように言い返し、結果宗矩が恥をかくような格好となりますが、お藤の機転の利く姿、才気に惚れ込んで自らの妻としたというエピソードとなっています。なお、阪原の里には現在まで「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の娘になる」という里歌が残されています。


南明寺

宝亀2年(771)の創建といわれる古寺。本堂〔重文〕は鎌倉時代の寄棟造りで、本尊薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の藤原三仏〔いずれも重文〕が安置されています。境内には鎌倉時代の宝篋印塔、室町時代の十三重石塔などがあり、近くに柳生宗矩とお藤の恋を伝える「お藤の井戸」があります


水木古墳

水木古墳は大柳生盆地の南東にある直径約16mの円墳で、墳丘の周縁には1~4段の石積が廻っています。埋葬施設は横穴式石室で、石室内から土師器や須恵器、鉄鏃、馬具などが出土しました。これらの出土遺物から6世紀後半から末の古墳と考えられます。

 古墳時代後期の古墳は群集していることが多く群集墳と呼ばれますが、水木古墳は丘陵上に単独で存在する古墳です。奈良市東部を代表する後期古墳として歴史的に重要で、学術的価値も高いと評価されています。


夜支布山口神社

水木古墳は大柳生盆地の南東にある直径約16mの円墳で、墳丘の周縁には1~4段の石積が廻っています。埋葬施設は横穴式石室で、石室内から土師器や須恵器、鉄鏃、馬具などが出土しました。これらの出土遺物から6世紀後半から末の古墳と考えられます。

古墳時代後期の古墳は群集していることが多く群集墳と呼ばれますが、水木古墳は丘陵上に単独で存在する古墳です。奈良市東部を代表する後期古墳として歴史的に重要で、学術的価値も高いと評価されています。


円成寺

水木古墳は大柳生盆地の南東にある直径約16mの円墳で、墳丘の周縁には1~4段の石積が廻っています。埋葬施設は横穴式石室で、石室内から土師器や須恵器、鉄鏃、馬具などが出土しました。これらの出土遺物から6世紀後半から末の古墳と考えられます。

古墳時代後期の古墳は群集していることが多く群集墳と呼ばれますが、水木古墳は丘陵上に単独で存在する古墳です。奈良市東部を代表する後期古墳として歴史的に重要で、学術的価値も高いと評価されています。